lunatrium/fabula cella
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【2009/01/08 11:18】
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グラップラーズ・草太
暗闇が飛んでいくのを、草太は飽きずに見ていた。いつ行っても、渋谷はあまり好きになれない。人に埋もれていると、色水をかけられている気になった。これが一か月前なら蒸し暑さで耐えられなかっただろう。秋の始まりらしい気温が彼を助けた。それでも人の匂いが濃く、感覚が少し狂うのが分かった。電車もまたそこから遠ざかる人に溢れ、接触を避け車両の隅で呼吸をしていると、移動に伴う雑音のほかに聞こえるものが少ないのに驚く。窓から車内に目を向けると、誰も会話をしていない。背筋が寒くなった彼は、少し焦りながらもう一度窓の外を見る。盛り場を過ぎたのか、もう線路のそばには派手なネオンが少ない。窓に車内の様子が映り、草太の白に近い金髪も鮮明に映る。その下に眠たそうな目がある。瞳は黒に近い色であるために、窓の外の闇が染み込んだ様に見える。遠く向こうに、照明がきらびやかな広い土地がある。レジャー施設か何かだろう。草太はそこに焦点を合わせない。目の前を流れる闇を見ている。そこに光が無いから暗いのではない。そこに闇があるために暗い。
闇が光にぶつかり窓から遠ざかった。駅に着き、草太がよりかかる壁が開こうとしている。彼は身を起こした。電車は人を交換している。人の匂いが沁みず透明なままの空気が、七分袖のTシャツから出ている体毛の薄い腕をなぞる。何気なくうつむいた草太は、青いデニム地のバッグを二つ三つ見た。よく小学生が背負っているのを見かけるものだ。思わず目で追うと、三人の男の子がするりと椅子と椅子の間のスペースへ入り込んでいった。草太はその移動を、蜥蜴のようだと思う。携帯電話の、液晶とは反対の面についているサブ・ディスプレイを見ると、十時四十七分だった。彼らは小学生のように見えたが、自分が小学生のころ、こんな時間に電車に乗れただろうかと考えてしまう。
草太は小さいころ、巨大なものは全て恐ろしかった。それに面すると、呑みこまれる事しか考えられなくなった。デパートも、駅も、家から少し離れたところにある高速道路も、たまらない恐怖だった。初めて行った時、小学校でも随分ぐずったな、と羞恥じみた笑いがこみ上げる。近所に住んでいた友達と手を繋いで、やっと学校に足を進めたが、初日は下駄箱まで来てパニックを起こして保健室へ送られた。
(俺はどうして慣れる事が出来たのか、今でも分からない。それよりも今になって、どうして恐ろしい所に親が子を躍起になって送り込もうとするのかという、あの不鮮明な恐怖ばかりが思い出される)
電車が乗換駅に着いた。草太はホームに降りると、ゆっくりとした歩調で階段を下りていく。先程の青いバッグの三人に追い抜かれた。一人が先頭を走り、もう二人がそれを追っている。後ろの二人が笑い混じりに、待てよ、と言った。草太が向かうホームの方へ曲がっていった。草太もそちらへと向かうが、ちょうどホーム同士の中間にあるトイレに入る。少し混んでいる中で用を足し、二つある洗面台の片側で手を洗っていると、急に背中に何かぶつかった。そのせいで、右手首につけたリストバンドが濡れた。瞬間、鏡に目をやると、スーツの男が自分の後ろを通っていった。小便器の列を見ると、若干髪が薄い小太りの中年が何事かぶつぶつ言いながら、草太から見て最も近い便器に体を寄せていた。顔が赤く、酔っているようだった。
あの男がぶつかったのだ。それなのに詫びも言わない。
言い知れぬ怒りがこみ上げた草太は、その男の顔を見続ける。トイレに入ってきた茶髪の高校生が怪訝そうに草太を見たが、彼は一瞥もくれない。男が体をゆすり、洗面台へと振り向くと、やっと草太に気付いた。唾を飛ばしながら、威嚇するように大きな声を出す。
「なんだあ、金髪」
その態度は、まとまりに欠けた怒りを静かなものにした。謝罪の言葉の一つもかけず、威すような態度をとるこの男を、後はともかく少なくともこの瞬間は許してはいけないと思った。攻撃するのだ、という意識が研磨される。
リストバンドで素早く右手の指を覆うと、拳を作り真っ直ぐ男のあごを殴った。全く予期していなかった衝撃に、男はばたばたと後ろによろけ、転び、床に背中を叩きつけた。小便器を使っていた男たちは皆驚いて、男や草太を見た。先ほどの高校生はよろけた男の手が体に当たったらしく、頓狂な声を上げて驚いていた。
鋭い怒りは失せてゆき、草太はトイレから出た。改めてホームへと向かうが罪悪感は無く、むしろ眠気が増した。リストバンドで気持ちばかりの防御をしたとはいえ、さすがに手が痛む。その痛みが行為の気だるさを増している。人を強く殴ったのは久しぶりだったために興奮しているのかもしれない。
ホームへと続く階段を登りながら、振動を始めた携帯電話を取り出す。友人でありバンド仲間である利彦からの電話だった。明日知り合いのバンドが、よく自分たちもライブをする小屋のステージに立つので一緒に観に行こうという話だったが、今さっき友人のライブを観たばかりで、どうにも行く気にならない。その気が起きたら連絡する、と言って会話を止めた。電話を切るとちょうど階段を登りきったところだった。電光掲示板を見ると、電車が来るまで少し時間がかかるようだ。この時間、この線には、そこまでの混雑は生まれない。人を殴ったことも忘れ、草太は感覚が補正され始めるのに気付く。自分を知る者が周りにいないということ。太陽が出ていないということ。嫌う喧騒も愛する音楽も聞こえないということ。それら全てが自分をニュートラルにしていく気がした。
慣れた動作で煙草に火を点けた。煙をまきながらホームの端にある喫煙所へ歩く。一応禁じられた行為だが、中毒性の欲求は充分な理由だった。
(煙が昇って、自分の尾になっていく。まるで蒸気船だ。蒸気船は大きいな。昔恐かった大きいものだ。けれど俺の体はそこまで大きくない。俺のような矮小なものを恐がるとすれば、きっと精神はこっぴどく小さいものだろう)
喫煙所の近くに、先ほど見かけた三人の子供がいた。様子が普通ではない。一人が突き飛ばされて倒れた。草太は近づくことが出来ない。本気で傷つけようとはしていない蹴りが倒れた子を襲った。二人は笑いながら、顔や頭をかばう子を蹴って転がそうとしている。顔を見ようとしているのだ、と草太は気付いた。その悪意が彼を恐怖させた。電車が来るとアナウンスがあった。これであの子もひとまず解放される、人目に触れればきっと暴力も止むだろう、と草太は安心した。それと同時に焦りを覚えた。安心が裏切られる可能性を否定できる材料を、一つも持っていないためだった。電車が草太の後方から、三人の方へと走っていった。その時にはもう倒れていた子は立ち上がっていた。二人が何事か、威すような声色で言った。聞き取りづらかったが、乗るなよと言ったように聞こえた。
電車のドアが開き、人が出入りしたが草太は乗ることが出来ない。子供たちから隠れるように自動販売機の脇に寄りかかり、電車を降りた数人の歩みを見つめる。
草太は目をつぶった。悪意をぶつけられた子はきっと、電車に乗せてもらえなかったのだろうと思う。予想がつくからこそ考えたくない。だからひきずり続けている考えを強引に再開する。(夜、夜は巨大だ。今はこんなに慕っているのに、夜をも恐がっていた。何故光を恐がらなかったのだろう。同じくらい大きいのにむしろ今は光が恐い。きっと輝いているものを身近に知って、自分の暗さに気付いたからだ。暗さ―――ああ、今俺はあの子にもそれを感じている)
不安の原因はそれだった。常日頃の自己省察が気付かせた自身の暗部は、我が物だからこそ輪郭がはっきりとしていた。草太はその部位と、かの少年を重ねていたのだった。それがどれほど暗くおぞましいものか知っていたために、少年の苦痛は主観に近かった。
電車は走り去っていった。もしあの子が電車に乗り込んでいたら、と思うと草太は背筋を寒くした。悪意の塊と肩を並べて密室にいるという状況。しかし彼らの生活を慮ればそれは茶飯事だろう。草太も二十年近く人生を送ってきて、日常とは塵を山のようにするには充分な時間だと知っている。少年の苦痛はどれほどか想像も出来ない。その一部分を憂えることは申し訳無い事ですらあった。
そっと販売機の脇から出て行くと、変わらぬ位置に少年が立っていた。うつむいていた。草太は不意に悲しくなった。同情ではなかった。単純な悲しみが視神経を伝って、少し眼を潤した。足元で軽い音がした。指で挟んでいた煙草の灰が、重くなって下に落ちた音だった。
かわいそうなどとはほとんど思っていない。いじめを受けるということは、被害者にいじめられる要因がある事と、それを止めさせる力がない事の同時発生だと彼は思っている。
しかし草太の足は進んだ。一歩一歩踏み出す度に自問するが、草太の頭が理解出来ないだけで答えとはその歩みだったので問いは虚しかった。少年のそばで足を止める。彼は驚いて草太を見て、すぐに視線をそらせた。目に涙が溜まっていた。
「仕方ないんだよ」
草太は独り言を言った。
「人は群れるんだ。世界では何でも起きるから、一人は恐すぎる」
少年は草太を見つめ始めたが、当の草太は吸殻を灰皿に入れるのにわざと没頭し、少年を見ようとしない。
「でも脳が違うから、集まるといびつなことを考える。それもまだ出来上がっていない頭なのにわざわざ集まるから、どんどんいかれていく」
本当に草太は何も諭そうとしていなかった。自らの考えを示しただけだった。けれど少年は内容を理解すると、涙を否定しないまま微笑み頷いた。草太の見ていないところで、涙は両目から一粒ずつ零れた。
(太陽するり抜けずらかって、帰ろう、すぐに布団にくるまって)
草太は好きな歌の詞を口の中だけで読み上げた。
それから沈黙が続いた。ようやく電車が来た。二人の立ち位置に止まるのは先頭車両だ。減速した電車が二人の目の前で、とても弱い運動を見せて停止し、扉を開ける。見たところ客は誰もいない。少年は片足を踏み込んだが草太は動こうとしなかった。振り返った彼は、寂しそうな表情で草太を見つめた。それを受けてどうすればいいのか分からなかった草太は、
「グラップラーズ」
と咄嗟にバンド名を口にした。その言葉から何をどうしろとは言わない。自分はバンドを組んでいるから、この名前から捜せとは口が裂けても言えない。零を一にするようなものだ、と草太は思う。ただ縁とするには充分な数字だとも思った。少年は不思議な表情をした。扉が閉まり、電車は動き出した。少年は窓から草太を見つめ続けていたが、車内を走って少しでも長く視線を維持しようとはせず、ぴくりとも動かなかった。草太は彼の声を聞かないままだった。
草太は、少年との関わりや、自分の独り言から彼が何を感じたかに意味を見出そうとしたがあまりに難しいので諦めた。彼の事は忘れるべきなのかもしれないとすら思った。昂ぶった感情が、夜という幕に光を当てたような出来事だったのだ。そう思うと、少年が足蹴にされた光景や電車を二本も逃したこと、果ては酔っ払いを殴ったことさえ夢幻に感ぜられるのだった。
【2006/08/27 23:40】
グラップラーズ
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グラップラーズ
アホみたいに単調な曲ばかり演奏して、ガキどもに拍手をもらって、青春パンクバンドがやっとハケた。カウンターのそばの俺は辟易した顔つきをして、ドリンクチケットでスミノフを頼んだ。すぐに冷たいビンを受け取る。呷ると甘酸っぱいアルコールが、喉を冷やしながら焼いた。明るい顔をした、件のバンドのボーカルがアンケートの記入をせがんできたが、フードで隠れた俺の顔を見てすぐ引き下がった。楽屋では俺と目を合わそうともしなかった。ビビられているようだった。ステージの派手な照明が消え、通常通りのライトで、ライブハウスの不快指数が下がる。演奏を楽しみにして来ている人間は、トリップしているようなものだから不快とは思わない。
「ソウさん、ビビらせちゃかわいそうだよ」
いつの間にか横に、利彦がいた。高校の時の友達で、進路は別々だったが、今は俺のバンドでドラムを叩いてもらっている。高校の時分から一緒にやってみたかった。こいつのスティーヴ・シェリーを意識しているらしいドラムは、後ろにあると安心する。もちろんあそこまでの正確さはないけど、リズムが安定しているのは、俺は大好きだ。スミノフを半分に減らして、俺は楽屋へと利彦を促す。俺たちはのろのろと小汚い楽屋に戻る。
「さて、水分補給は済んだ」
俺はチューニングのため、ムスタングを手に取った。几帳面な他の面子は、もう支度を済ませてステージに行こうとしている。
「ソウ、俺のは?」
「善さん、さっき飲んでたでしょ。昼から食ってねえんだから、回っちゃいますよ」
「酔わなきゃピック持てねえよぉ」
ベースの善さんは、善司という大仰な名前の割に、ダメ人間の素質に満ち満ちている。大学の文化祭で、禁止されてるというのに前日から酒を喰らい、ムカツいていた女たらしをビンでぶん殴って、見事謹慎の身となってしまったり、去年のクリスマスにはドラッグをキメてセックスするのと、テキーラで酔っ払いながら青姦するのではどちらが危険か、という質問を真顔で彼女にしたところ、夕方六時に帰られたりした経験を持っている。ベースはというとメロディックなルートを思いつくことに関しては、やたらセンスがあると思う。突っ走りがちだが怒るとすぐ直してくれる。問題は多いが、善い人と呼べる。
「善司にしらふは毒なんだって。草太も知ってるでしょ」
俺より年下だというのに、俺の先輩にあたる善さんと俺に敬称をつけない、この不届きな女は智歩という。
俺と利彦がよく行く楽器屋に、「女性ボーカル募集」の張り紙を出して、三時間で連絡を入れてきたバイタリティ溢れる女だ。フリーターの俺、不真面目大学生の利彦と善さんに負けない反社会的なヤツだが、実はまだ高1である。智歩の作詞力には恐れ入る。俺たちの要求をすんなり飲むくせに、自分の個性を消さない。歌詞そのものはというと、智歩自身が病んでいるに違いない、現代という厳しい風に磨耗させられてきた俺たちでさえ、すんなりとヤバイと思ってしまうヤバさだ。
智歩の茶化しに笑いながら、俺たちはステージに出てチューニングを始める。何となく、智歩の身の上話を思い出していた。
ロックと一緒に酒を覚え、ギターと一緒にタバコを覚え、バンドというものと一緒にセックスを覚えた。それが全て中学の時の出来事だという。まるでロックスターだ。
「好きになった男がさ、ドラムやってたの。ノイズとか、グランジの。そいつが作曲に使ってた古いギターもらって、必死に練習して、一緒にバンド組んだの。でも、やっぱ恋人同士ってダメだね。バンドとか、セックスだけ相性がよくっても、肝心なところで接してなかった。そのうち、そうやって局地的なところでしかコミュニケーションできないのがイヤで、別れようとしたの。そしたらキレられて、そのキレ方が面倒臭いの何のって!あろう事か押し倒そうとしてきてさ、アタマきたから、刺しちゃった。足だけどね。だから受験する高校は、その時の行動範囲から離れた所にしたんだ」
飲み屋でジョッキの中身を減らしながら、微笑みと一緒に語る智歩を、利彦が目を丸くして見ていたのを覚えている。俺はミネラルウォーターが入ったペットボトルを、手の届きやすい場所に置き、アンプとギターを繋ぐと、軽くコードを鳴らす。このライブハウスの機材は、正直かなりイイ。子供ならたちまち難聴になりそうな轟音が、耳やら腹やらを震わせる。五弦を少し締め、もう一度鳴らす。具合は良い。いくつかエフェクトをかけ、三曲目の出だしを弾いてみる。悪くないニュアンスの出方だ。メインで使うファズの調子を入念に確かめながら、エフェクターの設定を調節した。善さんが手間取ったみたいだったが、ほとんど問題はなかったようだ。全員あまり時間をかけずに仕事を終わらせ、楽器を置き、一度ステージ脇からハケる。一番に戻った俺はビンを手に取り、スミノフを空にした。三人がハケると、利彦が口を開いた。
「智歩、MC大丈夫なの?くれぐれもファックとか言わないでね」
「大丈夫、大丈夫。穏便に済ますから」
前は、あまりにも汚い言葉遣いから、酔っ払いに絡まれて大変だった。相手がいい年で、善さんが一撃で済ませたから、何とか警察沙汰になっても注意だけで助かった。
通常の照明が落ち、ステージの明るいライトが点いた。入場曲として、ディーヴォの「モンゴロイド」が鳴り出す。この瞬間はいつも背筋がくすぐったい。智歩を先頭にして、全員ステージに上がった。数回ここでやらせてもらっているが、名が知れたのかまばらに拍手をもらえた。俺がフェーザーのスイッチを入れるのを見計らって智歩がマイクに向かう。
「グラップラーズです。よろしくお願いします」
ぼそりとバンド名を口にし、弦に指をかけ、智歩は利彦に合図した。スティックを鳴らす音に、俺も自分のギターに神経を通す思いでコードを握った。
シンバルとスネアが爆発したような音に合わせて、思い切り頭を振り下ろしてピックを弦に叩きつけると、パーカーのフードがめくれて、俺の頭が裸になった。白に近い金髪が暴れ、視界が開けた。利彦はキックでビートを続けている。俺と智歩が鳴らしたノイジーな音が消えぬ内に、善さんがキックに乗っかってメロディを作る。俺がそれに追いついて主旋律になるのと同時に、智歩のシャウトが入る。素人臭くもなく、メタルっぽくもない、かといって黒人音楽みたいなグルーヴもない。独特のシャウトだ。全員の音が短調に固定された四小節後から、智歩が歌いだす。
「光が列を作っている
空気はまだ誰のものでもない
滑走して 消えていった
風が電線を殺していった」
一遍に転調して、メロディだけメジャーに、歌詞は意味を成さないまま、曲は締めに入る。
「真空は回転していたい
月が夜のものとも知らぬまま」
スイッチを踏んでファズをかけ、ギターをかき鳴らした。音色は一気に膨らみ、音の表面はざらついた。耳はおろか、頭やジーンズのポケットの空洞までびりびりしてくる。利彦がスネアの連打でついてくる。俺はヤツの方を向き、単音でルートを高速で弾き続けた。二小節でルートを変え、同じ感覚で利彦のパターンが変わる。それが八小節続き、一拍完全に音を抜き、俺と智歩が飛びながら、同じコードを弾く。
音が響いて少し間を置いて、結構大きい拍手が起こる。まずい、初っ端から動き過ぎた。ピックで弦を押さえて音を止めると、俺は置いておいたミネラルウォーターを飲んだ。冷たくて、やる気が起きてくる。
ステージの背後のライトに照らされた客たちを見ていると、不意に泣きそうになる。眩しさに輪郭と色彩を失った彼らからは、生き物としての個性が窺えず、言いようも無い寂しさを感じさせるのだ。けれど次の曲や、メンバーの反応を見ていると、演奏への集中が再開され、そんな感情は全く消え去る。いつものことだ。
俺はペットボトルを置くと、ピックを手の中で転がした。
泣きそうになるのは、何故だろう、音楽が好きだからだと今日は思えた。
【2006/02/08 01:22】
グラップラーズ
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