lunatrium/fabula cella
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    ひどくのどが渇いていた。少しずつとはいえ、僕たち三人は駅に進んでいたのだけれど、いつどこでか道を間違えて、たどり着いた吹きっさらしの田んぼ道では日かげも無い。吹くのは台風が過ぎたあとの熱い風で、帽子を被っていなければ倒れているころだ。半分近く残していたアクエリアスを、もう半分にしてみる。だいぶぬるくなっていた。
    「誰だよ、駅近いって言ったの」
    僕の前を歩いている、黒いキャップの子が、すこぶるいらついた様子でがなる。彼は照行といって、今日の遊びの提案者だ。一人よがりじゃあないんだけれど仕切り屋で、友達をまとめるのがうまい。自分でもそう思っているからだろうか、他人が計画の邪魔になると、あからさまに嫌がる。僕ぐらいしかそこまで観察はしていないけど、皆感じていることだ。
    「確かコウセイだよな、バスで金使うことないってさあ」
    照行の前を歩く、小学校指定の黄色い帽子を被った小柄な子が、びくりと肩を揺らした。恒誠は気まずそうに、こちらを振り返らずにうなずいた。
    「どこが近いんだよ!もう何分歩いてるんだよ、俺たち」
    僕たちは、最寄り駅から二駅のところにある、ちょっと大きなプールに遊びに来た。行き道は、駅からバスで来たのだけれど、その分のお金を浮かせようと、歩いて駅まで行くことにした。恒誠は、親戚の家が駅の方にあって、ちょっと土地勘があると言っていた。お金にうるさい照行も賛成した。反対しても照行に丸め込まれ、その上雰囲気が悪くなるだけだと思い、僕もそれに続いた。
    最初は順調だった足取りも、恒誠が分かれ道のところでためらい、そして選んだ道を進んでからはたどたどしくなった。駅なんて見えもしない、開けた田んぼ道に入って、もう十五分歩いていた。抜けてきた住宅街も、ものすごく遠く見える。
    恒誠の自信が感じられない態度に、照行がもう一度責めようとしている。どうにかごまかそうとした僕は、
    「あっ、テル。お店っぽいよ、あそこ」
    正面を指差しながら言った。田んぼ道はそろそろ終わろうとしていて、いくつか建物が見える。その手前に、酒屋さんのような店があった。
    「あそこで道、教わろう。テルもうジュース飲んじゃったでしょ?」
    僕も温まったアクエリアスを飲みきって、空のボトルを振って照行に見せつけた。すると照行はうなずいて、恒誠を追い抜いてずんずん歩いていった。僕もそれにならった。近づいて微笑みながら、恒誠の肩を叩いた。
    「勇太、ごめんね」
    僕は謝られると思わなかったので、少し驚いた。
    「いいよ、テルに追いつこう」
    にこやかにそう言うと、恒誠はもっとゆううつになったみたいだった。恒誠は、弱い子だ。あんまり発言もしなければ、活発な方ではない。僕らは六年になって、初めて三人同じクラスになったのだけれど、照行と恒誠は幼稚園からの付き合いだ。僕がその輪に後から入ったのに、恒誠は僕よりも照行に遠慮をする。はっきりと言葉に出来ないから、僕は「強い」「弱い」と区別しているのだけれど、彼らはそういうところが大きい形の友達なんだな、と思う。
    一塊になって、店に着いた。重々しいシャッターが、とても憎たらしい。
    がしゃん、と突然大きい音がして、恒誠がびくりとした。照行がシャッターを蹴飛ばした音だった。顔を見ると、無表情になっている。だいぶ怒っている証拠だ。
    「お盆の時期だからさ、しょうがないよ」
    辺りを見回すと、自動販売機はあった。キャップを外し、ペットボトルを専用のゴミ箱に入れる。キャップは普通のゴミ箱に捨てた。また、五百ミリリットルのアクエリアスを買う。それなのに百十円だ。得した気分になった。恒誠は、同じ量のオレンジジュースを買った。
    「コウセイ、おごれよ。お前のせいでこんな所、歩いてるんだからな」
    それを聞くと、なんだか胸の中のものが縮まった気がした。のどが詰まるような緊張が、口で息をしづらくさせた。動けずに、鼻だけで息をする。落ち込んだ表情で、お金を販売機に入れる恒誠を見て、我慢できなくなった。僕は必死にこらえながら照行に、
    「裏に人いないか見てくる」
    と早口で告げた。店は、家が裏にくっついているような外見だった。照行の反応も見ずに、全速力で裏手に走った。家の向こうには草むらが広がっていて、僕はその中に入り込んで、よつんばいになった。二人に聞こえないように、と思うとやり切れず、息だけが止まって目が潤んだ。えっ、と苦しげな声だけが出る。のどがねじ曲げた息みたいな音だ。すると遠くからヘリの音が聞こえてきた。どんどん大きくなってくる。そこまで考えると、歯止めはきかなかった。右手の人差し指をのどに突っ込んで、吐いた。台風が過ぎ、今日一日照らされていた土は、少しからからしていた。音が立たないように、口を地面に近づけた。昼ごはんはあまり食べなかったから、さっき飲んだ水分が多かった。嫌なにおいが広がったので、僕は顔を上げ、膝立ちになった。吐いたものと、それとは全然違う、健康な緑色の草。目を背けたくなる。買ったばかりのアクエリアスを少し口に入れて、うがいをした。それから一口飲んで、キャップを締め、仰向けになった。ヘリの音は少しずつ遠ざかっていった。僕の好きな、草のにおいしかしない中、僕は緑にちょっとだけ邪魔された空を見ていた。気分は落ち着いた。すごく深い青の脇に、強く白い太陽があって、夏だ、という気分になった。
    それから店の窓を叩いたり、裏口の扉をノックしたり、声を出して呼んだりもしたけど、反応はなかった。表へ戻ると、照行はシャッターにもたれながら、ペットボトルのコーラを飲んでいた。僕が首を横に振ると、大きく舌打ちをした。恒誠の表情は変わっていない。未だに責任感と照行への恐怖でびくついている。しばらく三人で座り込んでいた。タイミングを逃して、皆進もうとしないまま、十五分くらいが過ぎた。すると照行がゆっくりと立ち上がった。
    「行こうぜ」
    そう言って、元の進行方向に歩き出した。それに恒誠も続く。不安が広がったけれど、僕にはついていくことしか出来ない。
    また十数分歩くと、大きな寺に着いた。砂利を乱暴に鳴らしながら照行は、境内の端、壁で出来た陰に座り込んだ。腕の時計を覗くと、五時を回ろうとしていた。
    「コウセイ、ここから駅までの道、分かる?」
    「全然…」
    僕の問いに、恒誠がすぐに答えると、
    「なんだよ、それ」
    照行が冷たい声を出した。そして立ち上がった。
    「お前のせいで迷ってんだよ。それでなんだよ、全然って。お前ほんとに責任感じてんの?」
    恒誠が怯え切ってうなずこうとすると、照行はそれを遮って、
    「だったら今の口振りは何だよ。お前が疲れるだけじゃなくて、俺と勇太もそれに付き合ってんだよ!謝るぐらいしてもいいじゃねえか!」
    照行は、顔色は変えず怒鳴り散らす。小さな正三角形を作るみたいな距離が、この口ゲンカを終わらせも、殴るような方にも持っていかないみたいだった。足音が聞こえたのでそっちを見ると、お墓の方から人が歩いてきていた。四十歳ぐらいの、夫婦みたいだった。
    「あ、謝った…」
    「いつだよ、俺聞いてねえぞ」
    恒誠の主張を聞いて考えた後、照行はぴくりと反応した。
    「さっき、田んぼ歩いてる時か?」
    僕は背筋を嫌な汗が垂れていることに気付いた。恒誠が謝ったのは、
    「勇太にだけだよな」
    そこで恒誠は自分が口を滑らせたと知り、弁解を始めようとした。けれど照行は速かった。思い切り投げつけた、コーラが入っていたペットボトルは恒誠の鼻に当たった。鼻を押さえうずくまった恒誠の頭から、黄色い帽子が静かにこぼれた。
    「ふざけんじゃねえ!」
    照行の声が鋭く響いた。僕は恒誠のそばに駆け寄って、大丈夫、と声をかけた。恒誠は泣いていた。目を固くつぶってしゃくり上げている。
    「テル」
    僕は名前を呼ぶことしか出来なかった。暴力を責めたわけじゃない。でもそんな思いが無かったわけでもない。何が言いたいか分からずに、思いが向いている人の名前だけ呼んだ。
    ざりっ、と砂利を蹴る音がした。恒誠は駆け出していた。照行の脇を通り過ぎたけど、恒誠はためらわなかったし、照行は止めようとしなかった。僕が名前を呼んでも恒誠は立ち止まらず、門を走ってくぐっていった。
    「テル、どうしたの?おかしいよ、帰り道中ずっと」
    「コウセイがむかつくから…」
    照行は、僕の顔を見ずにつぶやいた。
    「最近、いつもそうじゃんか。コウセイのこと馬鹿にしてばっかりだよ。ずっと一緒だったんでしょ?それならもう少し―――」
    その時、ちょっとしたひらめきがあった。それで言葉を止めてしまうと、照行は恒誠の帽子を拾い上げて、走って境内を出て行った。あわてて僕もついていこうとしたけれど、何となく止まって、お参りをしてきた夫婦に頭を下げて、それから走り出した。
    門を出ると、日差しが熱かった。思わず目をつぶると、明るい暗闇の中で、ばたばたばたっ、とスニーカーで走る音が小さくなっていった。照行だ、と思って音の方向に走った。少し焦げ臭いアスファルトを蹴って、最初の角を曲がる。照行の姿が見えて、追いついてもいないのにほんの少し安心するのを感じた。追いかけながら、焦げた臭いがしない分、砂利の雰囲気は優しいな、と思っていた。
    僕のほうが照行より足が速い。近づいて照行のすぐ後ろを駆けていくと、恒誠にも徐々に追いついていた。あっちは僕たちに気付いてないらしい。疲れたのか、恒誠は走るのを止めた。涙を拭っている。
    「コウセイ!」
    照行が怒鳴った。恒誠はまた肩を震わせた。振り返った顔は、いかにも情けなかった。
    「ごめん」
    ぽつりと、恒誠がつぶやいた。小さな声でもう二度つぶやいて、それからまたしゃくりあげ始めた。照行はうつむいて、何にも返さなかった。
    「テル、なんか言いなよ」
    僕が促しても、照行は反応しなかった。仕方なく、別の方法をとろうと思った。
    「コウセイ、なんか言いな」
    また涙を拭おうとした恒誠が、ぱっ、と僕の顔を見た。
    「言いたい事、あるでしょう」
    叱りたいわけじゃなかった。だから、なるべく柔らかく言った。僕たちの間には、沈黙しかなかった。僕たちの周りには音がいっぱいあった。風の音と、そばの林中の葉っぱがこすれる音、セミの羽の音。だから、それ以外の音を突然立てた恒誠に少しおどろいた。
    「テルが、ぼくのこと嫌いだって、分かってる」
    泣きながら話すのが恥ずかしいみたいで、必死にいつもどおり話そうとしているのが見て取れた。
    「でも、ぼくはずっと一緒だったから…嫌いにとか、なれないから、さあ」
    返事が無いことに、僕も恒誠もどんどん不安になってくる。
    「…ごめんっ、嫌いになんないで…」
    そう言うと、両手で顔を覆って、また本格的に泣き始めた。僕はその独白に耐えられないでうつむいた。
    恒誠は、弱い。冗談を言ったり茶化したりしても、どこかおびえた雰囲気を出す。僕にも少し、そういうところがあった。だから僕は、恒誠のそんなところを見たり、それを起こす人、つまり茶化したりする人を見ても吐きそうになる。必死に矯正した僕を、またひきずりおこしてしまいそうで。
    照行が口を開いた。
    「…バッカじゃねえの」
    うつむいて見つめたコンクリートから、目を離せなくなった。
    「キモチわりいんだよ」
    どんな表情で照行がそう言ったか、見ておくべきだった。いや、もしかしたら逆かもしれない。表情によっては、照行をもう許せなくなっていたかもしれなかった。
    恒誠が、声を上げて泣き始めた。大声を張り上げて、ではないけど、確かに泣き声を上げ始めた。僕はようやく顔を上げて恒誠をなぐさめることにした。その瞬間、恒誠は照行を突き飛ばして、泣きながら小走りで林の中に入っていった。照行は尻もちをついて、すぐに立ち上がろうとした。そこを僕は、思いっきり頭をひっぱたいた。黒いキャップが落ちて、もう一度座り込んだ。あんまり強く叩いたから、指が痛みと一緒にしびれた。照行は何か言おうとしたが、僕がその前に言葉を始めた。
    「テルは別にコウセイのこと嫌いじゃないんでしょ?ていうか昔から一緒だから、割と大切な方の友達だと思ってるんだ」
    照行は口を開いたまま何も言わない。その態度がイラついて、僕は見下ろしながら叫んだ。
    「コウセイがどういうヤツか分かってるだろ!言われて嫌な思いしてるから言い返せなくて、されること皆自分を攻撃してくるみたいにっ」
    それを言葉にしたのはまずかった。いっぺんに、自分が今までそう感じていたこと、その瞬間を思い出してしまって、また吐き気がした。一度言葉を切ったけれど、無理やり続けた。
    「…皆が自分を嫌ってるみたいにっ、そうやって感じちゃうんだよ。そういうヤツだって分かってるだろ?でも許せないんだろ。テルは強いから。そういう感じ方が出来ないから。でも、だからってそうやって感じるヤツのこと叱っても意味無いよ。ああいう言い方じゃ、傷つきやすいところを傷つけるだけだよ」
    言い終わるともう我慢できなくて、振り返って、電柱にもたれて吐いた。音はあまり立たず、コンクリートに吐いたものが跳ねた。もう水分しか吐くものが無い。それを終えると、今日二本目のアクエリアスを飲み干した。照行が僕の背中に、大丈夫かよ、と言った。その言葉を無視して振り返り、僕が叩き落とした照行のキャップを彼の頭にかぶせた。そして彼が放して地面に落ちた恒誠の帽子を、照行に握らせた。
    「仲直り、しなよ」
    二人で林に入ってまっすぐ進むと、しばらくして恒誠が座っていた。自分の右足を見ているようだった。そういえば恒誠はビーチサンダルを履いていたから、ケガでもしたのかもしれない。僕たちの足音に気付いて、恒誠は立ち上がり、逃げようとした。けれど右足をひきずっていて、やっぱりケガだ、と思った。スピードの差でほとんど追いつき、照行の手が恒誠をつかみそうになった瞬間、恒誠が滑ったように体勢を崩して、葉っぱの緑の中にもぐっていった。悲鳴も、葉っぱにぶつかり、枝が折れる音も止まない。坂になっているのかもしれない。照行はそこに、足から飛び込んでいった。その先がどうなっているか分からないのに、僕もつい照行に続いた。案の定そこは坂になっていて、枝の白や葉の緑が次々僕におそいかかって来て、思わず両腕で顔をかばって、目までつぶってしまった。足が土をどんどんえぐって、スピードが上がっていく。
    びしびしと両腕が、軽く鋭く痛む。それが何秒も続いて、ようやく坂は終わった。下った先は開けていた。照行は僕より勢いがついていたみたいで、僕の少し前でうつぶせに倒れていて、すぐに起き上がった。その向こうで、恒誠はこちらを向いて座っていた。
    涙を浮かべながら僕たちを見ていた恒誠に、照行が四つんばいになり、ゆっくりと近づいた。そして帽子を被せた。
    「テル、血…」
    恒誠は泣きながらも、照行の腕のそれに気付いた。枝か何かのせいで切ったようだった。
    「ごめんな」
    照行は、ぽつりと謝った。恒誠は帽子に触りながら、照行の優しさを感じているみたいだった。
    「あっ」
    僕は、とてもいいことに気がついた。
    「あれ」
    僕が指差す方向を、二人が同時に見た。僕たちの小学校が見えていた。二人が校舎を見て歓声を上げた時、僕はその右の方を見ていた。夕日がそろそろ沈みそうで、空は暗い青になっていた。
    まっすぐ小学校まで歩いていると、よく遊びに来る公園に出た。そこの水道で、三人で傷を洗うことにした。ここからならそれぞれの家まで五分とかからない。僕は一番最後に傷を洗い始めた。二人はそれぞれ、濡れないように脱いでいた靴や靴下を履こうと、濡れた手足をプールバッグから出した大きなタオルで拭き始めていた。僕が蛇口をひねると二人の方から声がした。
    「コウセイのおかげでさ、電車賃まで浮いちったな」
    振り返ると、二人して笑っていた。
    僕たちはそこで別れることにした。照行と恒誠は家が近いから、途中まで一緒だ。手を振って二組に分かれた。僕の家とは逆方向に歩いていく二人を、しばらく見つめていた。しゃべって、笑っているみたいだった。
    残りの夏休み、楽しく遊べるだろうな、と思った。家に着くと、遅く帰ったことと傷について、母さんから怒られた。そしてすぐ風呂場に送り出された。
    傷がしみないように、注意して体を洗った。湯船にゆっくりつかると、優しくなれた照行と、言いたいことを言えた恒誠のことが頭に浮かんで笑顔になった。
    嫌いな自分を、隠しているだけの自分が湯気に映るようで、情けなくて泣いた。のどが震えたけど、声は出さずに泣いた。ぽろぽろ涙が湯船に落ちて、僕は涙の中にいるみたいで、すこし笑えた。ひとしきり泣くとお腹が減ったので、風呂から上がった。おおざっぱに体を拭いて、バスタオルを腰に巻くと玄関から一歩外に出た。狭い庭が広がっている。
    ちっとも涼しくない夜は、僕を励ましてくれていた。
    【2006/03/01 12:33】 短編モノ | TRACKBACK(-) | COMMENT(0) |