lunatrium/fabula cella
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【2009/01/08 09:52】
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飛翔
二学期の終業式の日のことだった。俺は午後六時ごろ、教室のベランダから住宅街を眺めていた。座り込んで、格子状の手すりの間から見るそれは、通学路の筈なのだが見慣れたものとして映らない。自転車で地面を這うように進んでゆくと、いつもそこには決まった音がある。あの家からは拙いピアノが聴こえる。その向こうの家からは老いていながらも快活な声が聞こえる。俺はそれらの生活に何の関係も持っていないが、その音は俺の生活の一部だった。
がらっ、と教室のドアが開いた。立ち上がらなければ見つかる心配は無い。ベランダを覗き込まれれば話は別だが、十二月の夕方は寒く、四階のベランダは風が少し強い。俺を探す奴でなければそんな事はしない。
「もう出てる?」
友達の声だった。右手を上げて、教室の中に見せる。ベランダと教室を結ぶ引き戸が開き、テツがベランダに踏み入ってきた。両手一杯に物を持って、動きがとても鈍い。よくドアを開けられたものだ。分厚く大きい封筒からA4サイズの藁半紙をごっそり取り出し、その上に日本史の教科書を乗せて重しにした。缶コーヒーを渡してくれた。あらかじめ財布から出しておいた百円玉を放ると、テツは取り損ねて慌てた。結局ベランダから落ちることなく百円玉は無事にテツのポケットに収まった。
「さて、始めますか」
「風は?」
「いいよ。ストレートな追い風」
「どれどれ」
テツは俺の隣に座り込みながら、煙草を先ほどのポケットから取り出した。一本を口にくわえてから、ライターを取り出そうとして百円玉を落とした。滑稽に追いかける姿を見て呆れた俺は、自分の学ランのポケットから、拾った百円ライターを取り出して、小銭をつかまえたテツに促した。寄りかかる壁の方から風は吹いているので大丈夫かと思ったが、結構火が揺れる。手で風を防ぐとテツも急いで煙草に火を点ける。すまぬ、とおどけてから、テツは煙を真っ直ぐ前に吐いた。その煙の散り方を見て満足したのか、よし、と一声あげて藁半紙をテツが折り始める。俺もそれに倣う。
「どうでしたテツさん、通知表は? 」
「赤点は無かったよ。それで充分」
俺の方が先に折り終わった。記念すべき一投目の許可をテツに得てから、俺は紙飛行機を投げた。テツを待つ間ずっと見つめていた住宅街まで飛ばしたかったが、校庭の端の防球ネットにも届かなかった。そのすぐ後に投げられたテツの紙飛行機は美しく飛んだ。風が強すぎなかった為に、不格好に揺れなかった。最初は、それが飛行機に見えなかった。冬の夕方過ぎは暗いというより深く青い。闇が海に見え、紙飛行機は帆船のように悠然としていた。けれどその考えは、風による緩やかな上昇で否定された。泳いでいくような動きではない。やはりそれは風に乗って空を滑っていく鳥のようだった。
テツの紙飛行機はネットを軽々と越え、何メートルも先の川に落ちた。その運動も鳥のようだった。それから何度も紙飛行機を折り、飛ばしたものの、何度やってもネットを越えず、俺は缶コーヒーを飲みながら
テツの鮮やかな手並みを楽しむのに集中した。
空を飛べたらどんなに素晴らしいだろうと考えていた。テツの顔を見ると、彼はとても楽しそうな目をしていた。彼はきっと今、紙飛行機を飛ばすことで彼の空を飛べているのだ。彼の目を見ると、それが分かった。校舎の四階から地面を見下ろして、いや、テツは地面など気にしないだろう。彼は飛んでいく先を見ている。見え始めるそれら、そして
これから見え始めるであろうそれらを求めて高く、高く飛んでいくのがテツの心だ。何をするにもテツは楽しんだ。その様は俺に強い憧れと、そこから生まれた嫉妬を感じさせていた。
しばらくするとテツは
「そろそろ帰るか。明日は打ち上げだしさ」
と言い、盗品で楽しむのは程々にしておかないと、と笑った。藁半紙は印刷室からかっぱらった物だった。テツは何の気無しに日本史の教科書を持ち上げた。しかしその刹那、やや強い風が吹いた。ばさばさと藁半紙の何枚かが飛び上がった。数枚がベランダから跳ね上がり、校庭へと散らばった。テツは慌てて出来るだけ片付けようとしたが、俺はそんな気になれなかった。
元々入っていた量の半分以上はある藁半紙を、全てベランダから投げ飛ばした。強くなり始めた風に乗って、それぞればらばらの方向に飛んでいく。テツは奇声を上げて俺を叱責しようとするが、その前に俺はベランダから教室に入り、早く逃げるぞ、と怒鳴った。
「お前って本当、何したいか分からない奴だよ」
誰もいない廊下を走りながらテツはそう言った。
何をしたいかは最近やっと分かった。空を飛びたい。けれどテツのようには出来ないだろう。俺は、今俺が行ける場所を、低く、歩くように飛んでみたい。それで充分だ。ただ飛びたい。
昇降口を出ると、体育教師が校庭の方で怒鳴っていた。生徒から疎まれるあいつも飛べるのだろうか。
【2006/09/29 23:03】
短編モノ
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Umi No Ie
朝の光の中で心地よい目覚めを迎えた、と思ったら昼だった。
大学受験を控えた僕は、墓参りをした晩も参考書を読み続けた。しかし僕らの宿泊先である民宿の息子、イトコの孝雄に丸め込まれ、結局晩酌を共にしてしまった。いつの間にか眠ってしまったようだ。しっかり布団に入っているということは、そこまで醜態は晒さなかったということだろう。
朝ご飯をまともに摂る気も起きず、台所で麦茶を拝借する。主人である叔父さんが顔を出してきた。昨夜の酒席の主役だった。もう今年は誘わないでよ、と言うと、にやにや笑うだけで何も返してこない。冷たい物を飲んでも食欲が湧かない。ちょっとぶらぶらして来るね、と言うと、笑いを堪えながら
「もうさせてるじゃないか」
と言って、げらげら笑い出した。頭が醒めてきてやっと気付いた。僕は無様にも半裸だった。
僕は穿くものを穿いて、勝手口から外に出た。財布も携帯も忘れていない。潮風が心地良い。地元では宅地開発が盛んになってきて、こういう自然の匂いが感じられない。嗅げるのは掘り返された土の匂いくらいだ。潮風に魅かれて、海岸まで歩いた。テトラポットが遠くに見え、人影がちらほら見える。地元の子供だろうか。小学生の頃は、この時期ここに泊まりに来ると朝から夕方まで泳いでいられた。昼ご飯は海の家で食べたのを思い出す。
あの海の家はまだやっているだろうか。あの味の濃い焼きそばだとか、小さいかき氷だとか、無性に食べたい。砂浜はとても熱く、とても裸足では歩けない。サンダルを履いてきた事を後悔しながら、足早に海の家へ向かう。建物は昔と変わっていなかったが、店を覗き込むまで恐怖を感じていた。海水浴に来る客は高が知れている。
そっと店の中を覗くと、誰もいなかった。ごめんください、と言っても反応が無い。寂しい気持ちが膨れ上がって、少し泣きそうになる。そういえばここは、初めて一人で外食をした場所なのだ。妙に親近感が湧くのはそのせいだったのかもしれない。
急に奥から声がして、Tシャツ姿の若者が顔を出してきた。高校生ぐらいだろう。
「すいません、お盆はやってないんですよ」
こざっぱりとした態度の中にも、何だか洒落っ気がある。あ、そうなんですかぁ、などとおどおどしている僕に比べても都会的だ。店が潰れていなかったことへの安堵を抱いて引き返そうとしたが、その若者に呼び止められた。
「せっかく来てくれたのに、悪いんで」
彼は素早い動きで店の奥に引っ込み、栓抜きと瓶入りのコーラを持ってきた。
「もし嫌いじゃなかったら」
そう言いながら彼は栓を抜き、瓶を僕に差し出す。彼の屈託の無さに圧倒されて、思わず瓶を受け取ってしまった。彼は店の方へ走っていき、また奥へ引っ込む間際に僕に手を振り、手を振り返す前に視界から消えた。
炭酸が効いているコーラを飲みながら、民宿へと戻る。喉がちりちりと刺激される中、僕はある閃きについて考えていた。
彼と僕は会ったことがある。子供の頃、数回遊んだことがある。名前は確か恭平といった。
彼が僕に気付かなかったのは何故だろう。僕が彼だと気付いたのは、笑顔が昔のそれとそっくりだったからだ。となると、彼が僕に気付かなかったのは――僕が変わってしまったからなのだろうか。
恭平と話がしたかった。僕は明というんだ、君にアキちゃんと呼ばれていたんだと明かしたくなった。
そして話がしたいのと同じだけ、話すのが恐いという思いに苛まれている。それは、彼が僕を覚えていない恐怖でもあったが、本当に恐いのは、彼と話すことで、変わってしまった自分を鮮明にしてしまう事だった。
コーラはすぐ無くなった。空の瓶を握りしめて、「お金を払いにいくんだ」と言い聞かせて、海岸へ走った。
【2006/09/23 09:20】
短編モノ
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三回
ぼくの実家の近所には缶ジュースを百円で買える自動販売機がある。新製品がディスプレイされているというのに、よくこんな前時代的な値段で売ってくれるものだ。その上ぼくの好きな会社の自販機である為、利用頻度はものすごく高い。「通常より二十円も得する」というのはとても購買意欲を掻き立てる。
大学の友人二人がうちに泊まりに来ることになった。ゼミ合宿でぼくの実家がある県に来たものだから、寄ってみたくなったのだという。お人よしの両親は、大荷物を抱えてきた友人を手厚くもてなしてくれた。
午後九時を回る頃には、件の自販機がある酒屋で買い込んできたもので酒盛りが始まった。タオルなどの洗濯までしてもらった家で堂々酒盛りを出来るあたり、ぼくの友人らしいといえる。
ぼくの卒業アルバムを肴に酒は進んだが、彼ら二人は大して強くない。結局十二時を過ぎると二人は律儀に片づけを始め、それが済むとスーパーファミコンに興じ始めた。じゃんけんの結果ぼくは最初のプレイ権を獲得できなかった。彼らはおこがましくも、ジュースを買ってきてくれと注文してきた。苛立ちは覚えたものの、突如生まれた復讐のアイディアがそれをかき消した。ぼくは二人から「百二十円ずつ」受け取って家を出た。
夏はゆっくりとやってくるが、ぼくの住む県から離れる時はなかなか足早だ。夜の風は殊更その影響を受けていて、半袖のまま出てきた事を少し後悔した。少し酒が残っていた事もあり、肌寒い。早歩きで自販機までたどり着くと、百円を入れて最初にぼくが飲むウーロン茶を買う。楕円のボタンを押し込むと、缶が転がり出た。
缶を取り出そうと腰を落とした瞬間、自転車が勢いよく通り過ぎるような、シャアッ、という音が背後から聞こえた。
思わず振り向こうとすると、肩が自販機につっかえて回転が止まってしまった。すると、また缶が出てくる音がした。横たわるウーロン茶の缶に遮られ、出てこられないようだ。見えなかった自転車を訝しがりながらぼくは座り込み、取り出し口に両手を突っ込んで缶を取り出した。幸運にもそれは、友人の一人が希望したスポーツ飲料だった。
しかし何故金を入れていないのに、とじろじろ自販機を観察すると、何と釣り銭返却用のレバーの隣に円状のルーレットのようなものがあるではないか。しかも今なお発光している。光がくるくると回っている。
何たることだ。小学生の頃からぼくはこの自販機で買い物をしているのに気付かなかった。この自販機は買い物をするとルーレットが作動して、正しいタイミングでボタンを押せば無料でもう一本貰えるというギミックがついたものだったのだ。しかも未だ発光しているという事は、神経衰弱の要領で連続した成功が見込めるということだ。それにしても効果音ぐらい鳴らせてくれてもいいではないか。当時から注意力がないと通信簿に書かれ続けた。ぼくは不確定数の損失を想像し、少し絶望した。
その損失を補う為にも、このチャンスを活かし、もう一人の友人が希望したコーラを手に入れたい。そうすれば二十円ずつどころか百二十円ずつの利益を得られる。ぼくは指をボタンに沿え、ルーレットの動きに集中した。光のスピードを計算し、タイミングを計る。その時急に声をかけられた。
「あれ、やっぱり千葉だ。帰ってたの? 」
思わずボタンを押してしまったが、三度目の缶が出てくる音がした。昂奮したぼくは大声を出してしまい、声の主がうわっ、と迷惑そうな声を上げた。振り向いてみると、同じ中学の卒業生であるかずみだった。
ぼくはかずみに一部始終を説明すると、彼女はすぐに理解してくれて、相変わらず抜けてるなあ、と笑った。彼女は地元から程近い専門学校に進み、楽しくやっているようだ。先ほど自転車で通り過ぎたのも彼女だった。後姿を見てもしやと思い、引き返してきたのだという。人通りが少ない道なので、ぼくも知り合いかと思い振り向いたのだが、まさか本当に知り合いだったとは驚きだ。
「かずみ、何飲みたい?」
ぼくは回転し続けるルーレットを見据えた。かずみは遠慮したが、きっとタダになるからと言うと、
「じゃあミルクティー」
と答えた。しかし結局タイミングを外したので、大人しく百円を入れてミルクティーを奢った。三度目のラッキーは無かったが、そのお陰でその後も話は弾み、携帯の番号とメールアドレスを交換し、別れた。
それからぼくはコーラを一番下にしてスポーツ飲料、ウーロン茶と順に重ねて帰った。家に着くまでに三回も崩してしまい、直接手に持っていたコーラ以外はぼこぼこになった。
【2006/09/23 09:16】
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